大航海時代に思いを馳せて

大航海時代Onlineのゲーム記録と、痛い子的歴史妄想で構成の予定

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アイデンティティ(identity, 自己同一性)について

どもども~ご無沙汰してます、Kojiです。
いや~時間の経つのは早いもんですね。しみじみ。
かつては肥畜の鑑だった自分も、いつのまにか社畜にバージョンアップしてRyu
あ~、徹夜でDOLやってて、朝一で「体調不良につき、有休とりますっ」て会社に電話して、再びDOLしてた頃が懐かしですwww
それでも、少し余裕ができてきたので、ゲームとは関係ない話ですが、そこはかとなくよしなしごとを書いてみます。

以下のお話は、我が心の友、ヨハン=アーヴィッツ公への私信?みたいなものです。
あ~そういえばロマサガ2懐かしいですよ。スーファミでしたっけ、まだ実家の物置にあったような気がしまする^^;






(ぼくの考えた)アイデンティティの定義
普段、心穏やかに暮らしている人はアイデンティティなど意識せずに生活しているはずだ。
しかし人はアイデンティティを強く意識する時がある。それは自分の属する集団の外部から何らかの心理的ストレスを受けて、心理的に身構えた時である。自分が属さない、むしろ対立する集団を認識した時、初めて心の中で自分の立ち位置としてのアイデンティティというべき概念が形成される。
つまりアイデンティティを意識することは、防衛機制(自我の再適応メカニズム)が発動する最初の段階であり、この心の動きは遺伝的に人の思考回路に組み込まれた本能の一部に他ならない。
敢えて極端な言い方をすると、アイデンティティとは味方と敵を識別するための自己同一性の概念といえる。


進化の歴史から考えると、アイデンティティは部族社会の生存本能に由来する
基本的人権だの、人(=自分?)の命は地球より重い!?だの、どんな綺麗ごとを言ったところで、人間も動物である以上、自己保身の本能が全てに対して優先される。
サルから枝分かれして進化してきたヒトは何百万年もの間、部族社会をベースとして進化を続けてきた。その過程において、自己保身の本能は部族単位での生存と繁栄を目指す同調圧力へと進化してきた。
狩猟民族においては、共同で狩りをし、時には他部族と争いながら、更に獲物が少ない時は他部族から略奪してでも自分達の家族を生き延びさせる必要があった。
農耕民族においても、日照りで不作の時は隣の村と水利権を争いながら、部族社会ごとに一致団結して自分達の生存可能性を確保し続けていった。例えば江戸時代において、ある藩が豊作であっても、飢饉で苦しむ隣の藩に対して、基本的に援助などは行われなかった。隣の藩で何人餓死者が出ていようとも、それが江戸時代までの日本の農村の不文律だった。


正義という価値観は時代によって違う。
ここで少々脱線するが、現代人の価値観では前段に述べた「飢え死にしかけている隣人を見捨てる」なんて事は全くもって不道徳である。しかし現在の我々の価値観を持って、過去の人達を断罪することはあってはならない。過去にはその時代の人達が共有していた価値観があり、それを理解しないといけない。まあ常識かな~

リアル大航海時代を例にとると、17世紀からの大西洋貿易では西アフリカ(黄金海岸、ギニア湾) からカリブ海・北米プランテーションへ輸出された『奴隷』と奴隷が栽培した綿花や砂糖、18世紀頃のインドから清国へ輸出された『アヘン』は代表的な儲かる商品だった。そうして植民地から収奪された莫大な富は産業革命の原資となり、大英帝国は繁栄を極めていった。
DOL的カテゴリでは、『奴隷』は家畜だからカテ1、『アヘン』などの麻薬は酒やタバコと同じ嗜好品だからカテ2に分類されるのだろうか、まったくの余談だけどねw

大航海時代は未だ人権という概念すら無かった時代だから仕方がなかったと言えばそれまでだが、ところで一体、現代との圧倒的な違いは何だろう?・・・・・・・・・衣食足って礼節を知るという故事成語があるが、それは現代の特に先進国における物質的な豊かさに他ならない。
現代人は歴史的には極めて稀な豊かさを享受しており、その豊かさをもたらした資本主義と産業革命を進展させた大航海時代の先人たちに感謝せねばならないのだろう。
(おっと、話を元に戻しますがw)無理やりまとめると、物質的な豊かさが失われる時、我々は、ナショナルアイデンティティ(国民国家の成員としての自意識、時に愛国心とも呼ばれる)を強く意識せざるをえなくなり、戦争の危険性が高まることを自覚しておく必要がある。



人が認識できる集団の大きさについて
まず結論から先に言うと、国家という集団の大きさに制限はありません。人が古来から認識していた生活に根差した一次集団は部族社会までで、今では仕事、学校、親類、お買い物等で顔を合わせる範囲内がそれに相当する。
この1次集団より大きい範囲の集団はいきなり国家となるため、シンガポールのような都市国家でも、ロシアやUSAのような超大国でも特に大きさの制限が問題になってはいない。
ただし国家は豊かな生活を送るための(時には戦争を起こすための)集団ではあり続けても、個人が帰属すべき集団では無くなりつつある。個人ではなく法人に関していえば、既にグローバル資本主義によって、企業の無国籍化の進展は言うまでもない。

以前シリコンバレーで働いていた時に、ギリシャ人の同僚がグリーンカード(USAにおける外国人永住権)が取れたととても喜んでいた事があった。そんでもって、「Kojiはグリーンカード取る気はないの?」って訊かれて「いや、俺は日本に家族残してるしゴニョゴニョ」と言った覚えがある。その時、人は自分と家族の利益を最大化するためには国を選ぶ時代になったのだなと思ったものだ。勿論、恵まれたほんの一部の人達に限った話だけどね。

さて、次にナショナルアイデンティティ(国民国家の成員としての自意識)とエスニックアイデンティティ(民族的アイデンティティ)に分けたアプローチについては特に異論はないです。ただ、ヨハンさんが地球連邦政府的な存在を否定してたと思うので、反論させてもらう。
僕も今の社会情勢から地球連邦的なものが自発的かつ平和的に成立するとは思っていない。その成立シナリオは、大国間の大規模な核戦争の後、その反省のもとに全ての国家が軍隊の指揮権を国連に委ねるという合意があって、それが連邦政府の原型となる。もうこれは極限状態における、消去法的一択なんだよ。
しかしながら、その先、地球連邦政府的なものが軍隊を独占して戦争を禁止できても、言語や宗教、文化的に異質な人々の間での衝突がなくなることは無いので、国境線を引き直して住み分けを図り制度面でカバーする必要がある。例えば、日本はそのまま一つの州又は、4~5の道州制ぐらいに分割。USAやロシア、中国は今の州(省)がそのままで細分割すれば良いんじゃないかな。アラブの方が一番問題だが、ここでは触れない。(というか、思い付きで書いてるので、そこまで書けないというのが実際の所ですw)

でもね理想的なことを言えば、ナショナルアイデンティティは無ければ無いで済ませられるものだ。
もし国家の枠組みが解体された世界に生まれた子供は、ナショナルアイデンティティなんて意識することは無くなるはずだ。
ただし、そんな夢のような世界が実現する為には、物質的な豊かさが全ての国に広まって争いを起こす必要性もなくなるか、又はその正反対で悲惨な戦争がゴニョゴニョ・・・が前提条件だけどね。(この話は全然書き足りないので、続きをまた別記事で書きますねw)

もう一方の、エスニックアイデンティティは消すことのできない遺伝的特徴も含むから、それは各人が受け入れるしかないものだ。
マイケルジャクソンの悲劇には程遠いが、、また昔話で恐縮だが、取引先の友人が彼女(東海岸出身の金髪碧眼の美人のオネーチャンだった)もつれてパロアルトの美味しいイタリアン食べに行こうと提案したとき、彼女が「Kojiとはお皿をシェアしたくないの・・」と友人にこっそり言ったんだろうけど聞こえてしまったよ。
あああああああああああああああああああああああああああ

結局、一緒に別の個別のコース出してくれる店に食べに行ったけど、ほんとがっくりきた。ああ自分もアジア人種でそういう扱いを受けることもあったんだよ。

とりとめないもない話だったが今回はここまでで~アディオース、アミーゴ!
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[ 2016/08/29 01:51 ] 歴史展望 | TB(0) | CM(0)


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